切欠を作ったのは自分なのだろうか?
そういった思いが一瞬だけ、心の闇に巣食う。

7月29日。
熊本に帰省した俺は、親戚周りをすることになる。
いつもならば、帰ってすぐには周らず東京に帰るときに周っていた。
しかしその日は違った。
友人と会うなどの予定を多く、企画していた俺は、先に周ることにしたのだ。

祖父は、90歳。アルツハイマーに夢遊病、深夜徘徊、白昼夢、健忘症とだいぶん記憶に関する部分において病が進行していた。
妻さえも何者かわからなくなることもあったそうだ。
しかし、俺と弟のことだけは忘れることが無かった。
どうやら、男の孫がなかなか生まれなかったことを残念に思っていた時に俺と弟が誕生し、相当喜んでいたと聞く。それだけ、記憶に残っていたということみたいだ。
「あと、5年は生きろよ。」
お土産を渡した俺は、祖父にそんなことを言った。

7月30日。午前3時前後。
夢遊病で深夜徘徊。
それにより、高所から落ち、転倒。そして、ショック死。
外に出なければ死ななかったであろう。
普段はそうそう、外に出ることはなかったという。
では、なぜ___?


葬儀はすべて終わった。
日常に戻った俺は、何も変わらない。

切欠は俺なのかもしれない。
もし、俺がいつもどうりに、東京に帰る日に親戚周りしていたらこうはならなかったかもしれない。

「運命」という便利な言葉がある。
「バタフライエフェクト」という言葉もある。

人は、こういう死というものから多くの興味深い理論を発展させている。

こう考えることもできる。
「運命」の直前に「偶然」にも会うことができたと。


ま、そう思うこととする。
結論は何人にもわからないのだから___。

コメント

lister
2013年8月5日8:07

う~ん、深いお話ですね。先ずは合掌です。

丹依悠。
丹依悠。
2013年8月5日11:04

>ひみつ
オチ、そこかよ・・・

蒼穹
2013年8月6日21:21

>listerさん
まぁ、小説とかでもよく題材になりますよね。「死」と「時間」w

>あきな。さん
いや、秘密だからw
オチてwww秘密の意味www

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