オタクと教育とを考えてみる(意外と真剣、別ベクトルで)
2014年8月25日 日常 コメント (2)唐突だが、オタクの基準とは何なのであろうか?
俺的には、ある分野に突出した博識者、もしくは天才と思っている。
そうなりたかったが、残念ながら、時代に阻まれてしまった。
常識ある仕事。普通の仕事。あたりまえって単語に支配されてしまったように思える。
どうしてこうなってしまったのか。
俺の教育環境というのはめまぐるしく変化した時だった。
昔は土曜日なんて休みではなく半日学校に行かなくてはならなかった。
しかし、その時代の土曜日の存在は大きかった。
友人と遊ぶ約束したり、授業で分からなかったことを聞いたり、と。昼には終わるが、帰り道でそんな話をしたりコミュニケーション力も養われたように思う。
次に第二と第四土曜日(第一と第三だったかもw)が休みという完全週休2日制になる前の時代。
俺は中学生だった。地獄の野球部で部活が増えることに腹が立ったことをよく覚えている。
この時代は、いささか不安定だった。
授業の進むスピードが上がり、そのスピードについていけるものとそうでないものの差がかなり開いたように思う。
なぜ、授業スピードが上がったのかは、4時間×2が毎月消えることによって、教師もそうせざる負えなかったからであろうと思う。
年間で96時間。
普通に自力ではやらない時間である。
で。
最終的に俺が高校生の時とうとう週休2日制になる。
俺は進学校だったため、土曜日は模試かゼミという形で授業が進んだりした。
正直、これも自己参加型で強制力はないために、各個人に絶大な学力差を生んだように思う。
年間で192時間である。自力でそんなに勉強するはずがない。
で。
マスコミもひどかった。
子供の想像力を開花させるとか、自分で考える力を養うためだとか。
鵜呑みにする群衆(悪い言葉だと思います。すいません)もどうかと思うが、それは今も変わっていないことは普通に皆が分かっていることだと思う。
一つ思うことがある。
アニメにしろドラマにしろ映画にしろヒットしたものを思い浮かべてほしい。
それにはやはりオタクと呼ばれる者たちの大きな力が存在するはずである。
もしくは、教育で学んだ知識と言われるものが。
例を挙げてみよう。
1、涼宮ハルヒの憂鬱
これには、哲学と生物心理学、物理学、数学が大きく関わっている。
「もし」の世界を作り出す創造において、そこを考慮しなければいけない点も考慮して作られていること、またその説明もある。
顕著なのは「禁則事項」というセリフが代表的だと思う。
2、三国志シリーズ
言うまでもなく、歴史、史学、であろう。
歴史シュミレーションなどはまさにこれが大きく関わっている。
やはり、歴史に存在したキャラクター化はその人の歴史を学ばなければ作ることはできない。
3、半沢直樹シリーズ
法学全般。
4、ガリレオシリーズ
物理学、数学。
とまぁ、こうなるわけだ。
他にも、ヒットしたものには少なからずそういった要素が含まれていると俺は思う。
これを作ったのって、土曜日存在した時代の人たちがほとんどじゃん。
マギカも哲学、生物心理学だし、あー、いっぱいあるなぁ。
結局、言えることは教育が今までの日本を作ってきた。そう、「技術大国、日本」をだ。
数学は日本は世界においてトップクラスに存在していた。
今もなんとかそうみたいだが、ドイツには圧倒的差が生まれている。
国民性として、気遣いなど特有なものなどにおいて成長してる点もあるが、一概には言えない。
まとめるとこうだ。
学力の低下は国の崩壊、弱体化につながる。
で。
オタクの諸君。
知識は理論武装。
体力は物理武装。 になる。
やはり、そういった人間が、国を引っ張っていくべきだと思うが、天才はそれに興味がないに等しい。
それもそうだろう。
天才はあらゆるところに存在し、知らず知らずに、国を強化している。
まぁ、右翼っぽいがしかたない。(自称、中立)
で、思うわけですよ。
俺、カードゲームとか麻雀とかパチンコとかスロットとかアニメとか漫画とか結構多趣味だと思うんだけど。これらにも、今まで助けられたんだよね。今もだけど。
まず、文章読むの超早いらしい。(職場でよく言われる)
こんなの、本とか漫画読んでりゃ勝手に早くなるし、って思う。
で、計算の速さ。(飲み会の割り勘計算の速さ。人はドケチともいう)
こんなの、カードゲームとか麻雀とかパチンコとかスロットやれば勝手に身に付くじゃないか。基本確率計算とか皆やってるし。
英語なんてMTGさまさまだよね。
大きな大会出れば外人ともしゃべるし、ましてや英語版のほうが安いから、テキスト英語で理解するし。
と。
考えてみれば、オタクって言われるのは誇りに感じてる今日この頃ですよ。
最初は、「キモっ。」とか言われて仕事押し付けられたりするけど、こなせる力を遊びで身に着けている。
ふっ。
鬱ってるけど考えてみりゃオタク最強じゃないか。
ってなところで、俺ってオタクじゃないことに気付く。orz
まぁ、特化できてないし。ま、そうですよね。
オタクの人たちには頭が上がりません。
何せ、オタクって文学にはかなり精通してるしね。。。
俺、数字見てるほうがいいんだもん。
とにかく、オタクってコミュ力つけてしまえば最強だよね。
コミュ力でオタクって言われなくなったりもするし。
じゃぁ、コミュ力って考えたらやっぱり土曜日の存在がってなる訳ですよ。
まぁ、道徳の授業が消えたのも問題なような気もするけど。
最終的に、もっと学ばなければいかんと。そう思う。
しかし、勉強嫌い。
なら、遊ぶしかない。
つーことで、働きたくないでござる!
長文杉。キモ。すんません。
俺的には、ある分野に突出した博識者、もしくは天才と思っている。
そうなりたかったが、残念ながら、時代に阻まれてしまった。
常識ある仕事。普通の仕事。あたりまえって単語に支配されてしまったように思える。
どうしてこうなってしまったのか。
俺の教育環境というのはめまぐるしく変化した時だった。
昔は土曜日なんて休みではなく半日学校に行かなくてはならなかった。
しかし、その時代の土曜日の存在は大きかった。
友人と遊ぶ約束したり、授業で分からなかったことを聞いたり、と。昼には終わるが、帰り道でそんな話をしたりコミュニケーション力も養われたように思う。
次に第二と第四土曜日(第一と第三だったかもw)が休みという完全週休2日制になる前の時代。
俺は中学生だった。地獄の野球部で部活が増えることに腹が立ったことをよく覚えている。
この時代は、いささか不安定だった。
授業の進むスピードが上がり、そのスピードについていけるものとそうでないものの差がかなり開いたように思う。
なぜ、授業スピードが上がったのかは、4時間×2が毎月消えることによって、教師もそうせざる負えなかったからであろうと思う。
年間で96時間。
普通に自力ではやらない時間である。
で。
最終的に俺が高校生の時とうとう週休2日制になる。
俺は進学校だったため、土曜日は模試かゼミという形で授業が進んだりした。
正直、これも自己参加型で強制力はないために、各個人に絶大な学力差を生んだように思う。
年間で192時間である。自力でそんなに勉強するはずがない。
で。
マスコミもひどかった。
子供の想像力を開花させるとか、自分で考える力を養うためだとか。
鵜呑みにする群衆(悪い言葉だと思います。すいません)もどうかと思うが、それは今も変わっていないことは普通に皆が分かっていることだと思う。
一つ思うことがある。
アニメにしろドラマにしろ映画にしろヒットしたものを思い浮かべてほしい。
それにはやはりオタクと呼ばれる者たちの大きな力が存在するはずである。
もしくは、教育で学んだ知識と言われるものが。
例を挙げてみよう。
1、涼宮ハルヒの憂鬱
これには、哲学と生物心理学、物理学、数学が大きく関わっている。
「もし」の世界を作り出す創造において、そこを考慮しなければいけない点も考慮して作られていること、またその説明もある。
顕著なのは「禁則事項」というセリフが代表的だと思う。
2、三国志シリーズ
言うまでもなく、歴史、史学、であろう。
歴史シュミレーションなどはまさにこれが大きく関わっている。
やはり、歴史に存在したキャラクター化はその人の歴史を学ばなければ作ることはできない。
3、半沢直樹シリーズ
法学全般。
4、ガリレオシリーズ
物理学、数学。
とまぁ、こうなるわけだ。
他にも、ヒットしたものには少なからずそういった要素が含まれていると俺は思う。
これを作ったのって、土曜日存在した時代の人たちがほとんどじゃん。
マギカも哲学、生物心理学だし、あー、いっぱいあるなぁ。
結局、言えることは教育が今までの日本を作ってきた。そう、「技術大国、日本」をだ。
数学は日本は世界においてトップクラスに存在していた。
今もなんとかそうみたいだが、ドイツには圧倒的差が生まれている。
国民性として、気遣いなど特有なものなどにおいて成長してる点もあるが、一概には言えない。
まとめるとこうだ。
学力の低下は国の崩壊、弱体化につながる。
で。
オタクの諸君。
知識は理論武装。
体力は物理武装。 になる。
やはり、そういった人間が、国を引っ張っていくべきだと思うが、天才はそれに興味がないに等しい。
それもそうだろう。
天才はあらゆるところに存在し、知らず知らずに、国を強化している。
まぁ、右翼っぽいがしかたない。(自称、中立)
で、思うわけですよ。
俺、カードゲームとか麻雀とかパチンコとかスロットとかアニメとか漫画とか結構多趣味だと思うんだけど。これらにも、今まで助けられたんだよね。今もだけど。
まず、文章読むの超早いらしい。(職場でよく言われる)
こんなの、本とか漫画読んでりゃ勝手に早くなるし、って思う。
で、計算の速さ。(飲み会の割り勘計算の速さ。人はドケチともいう)
こんなの、カードゲームとか麻雀とかパチンコとかスロットやれば勝手に身に付くじゃないか。基本確率計算とか皆やってるし。
英語なんてMTGさまさまだよね。
大きな大会出れば外人ともしゃべるし、ましてや英語版のほうが安いから、テキスト英語で理解するし。
と。
考えてみれば、オタクって言われるのは誇りに感じてる今日この頃ですよ。
最初は、「キモっ。」とか言われて仕事押し付けられたりするけど、こなせる力を遊びで身に着けている。
ふっ。
鬱ってるけど考えてみりゃオタク最強じゃないか。
ってなところで、俺ってオタクじゃないことに気付く。orz
まぁ、特化できてないし。ま、そうですよね。
オタクの人たちには頭が上がりません。
何せ、オタクって文学にはかなり精通してるしね。。。
俺、数字見てるほうがいいんだもん。
とにかく、オタクってコミュ力つけてしまえば最強だよね。
コミュ力でオタクって言われなくなったりもするし。
じゃぁ、コミュ力って考えたらやっぱり土曜日の存在がってなる訳ですよ。
まぁ、道徳の授業が消えたのも問題なような気もするけど。
最終的に、もっと学ばなければいかんと。そう思う。
しかし、勉強嫌い。
なら、遊ぶしかない。
つーことで、働きたくないでござる!
長文杉。キモ。すんません。
コメント
了解です。
レポート終わらんオワタ。